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2019
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/ 11 Feb. 2019 (Mon.) 「プロレスづいているさま」

亀井好恵『女子プロレス民族誌物語のはじまり』(雄山閣出版)

柳澤健『 2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(文藝春秋)

これが「殺人医師」スティーブ・ウィリアムス。前田日明、藤原喜明 vs バッドニュース・アレン、スティーブ・ウィリアムス (1986.7.25)より。

0:51
お風呂に入るとさっぱりしますね。

入る前からうすうす「そうなるんじゃないか」という予期はあったが、ほんとうにさっぱりした。で、このツイートには 3人の方からいいねをいただく。情報共有の輪。
さてプロレスの話。
直近のきっかけはスカパー!だ。48チャンネルのなかから好きな 5チャンネルを選んで視聴する、「セレクト5」というこぢんまりしたプランを暮れに契約したのだけれど、そのさい最後の 5枠目を選びあぐね、結果「テレ朝チャンネル2」をすべりこませたのは「ワールドプロレスリング クラシックス」でも録っとくかと考えたからだった。
そのテレ朝チャンネル2では「クラシックス」もやっているが、もちろん、いまのプロレスもやっていて、こないだ、というのは 2月3日、テレビを回していて「 THE NEW BEGINNING in SAPPORO」という新日本プロレス・札幌大会の中継放送──そのメインエベント、内藤哲也 vs タイチのタイトルマッチの途中から──に出くわした。試合には直接関係のない飯塚高史が入場してくる王者・内藤を花道で急襲、負傷させられた内藤は若手に担がれそのまま奥へ引っ込んでしまい試合開始前に大会の進行がしばらく中断、あわや無効試合の裁定か? という展開ののちリングドクターらの制止を振り切るかたちで内藤が再登場、選手の希望に添いゴングが鳴らされてなし崩しに試合開始──といういささか〈古風〉なその試合──おそらくは土地も日付も同じ 1984年2月3日の札幌中島体育センター、長州力の入場時に藤原喜明が襲撃をかけてタイトルマッチが無効試合となった、かの「テロリスト」事件の本歌取りなのでしょう──についてはとくに何も思うところもないのだけれど、テレビのこっち側でプロレスにたいしてこれまた〈古風〉な眼差しを向けている妻の、その純朴な質問に正しく答えようと言葉を探しているうちについつい、またぞろ「底が丸見えの底なし沼」(『週刊ファイト』初代編集長・井上義啓の謂い)へと降りていくわたしだ。
われわれはいったい、プロレスの何を肯定すべきなのか。何を魅力として語るべきなのか。
いやそのわたし、「底が丸見えの底なし沼」とかね、そんな用語を引き出しからすぐ出せるような熱心なファンでは元来ないのだけれど、いま、ネットサーフィンの道すがら、ウィキペディアの「井上義啓」の項に寄ってしまうくらいにはプロレスづいているということである。で、ついつい参考書も二冊購入。亀井好恵『女子プロレス民族誌物語のはじまり』(雄山閣出版)と、柳澤健『 2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(文藝春秋)
『女子プロレス民族誌物語のはじまり』や、小田亮/亀井好恵・編著『プロレスファンという装置』(青弓社ライブラリー)が示唆するのは、その〈可能性の中心〉にあるのは「プロレス」ではなく、むしろ「プロレスファン」なのではないかということであり、それはたしかに説得的だと思える。
『 2011年の棚橋弘至と中邑真輔』は、『 1976年のアントニオ猪木』『 1993年の女子プロレス』『 1984年のUWF』等々(あと、『 1974年のサマークリスマス』も)で知られる柳澤健の最近作。まあ面白いのだけれども、この本自体がプロレスに参画してみせているところがあって、正直ちょっと疲れる。そのことは、第一にこれまでの著作と異なり、現役レスラーを対象にしているという事情(雑誌連載開始にさいして「文藝春秋と新日本プロレスの間で話し合いが持たれ」たことがあとがきに記されている)と無縁ではないだろうが、とはいえ、参画するその身ぶりは、たんに制約の結果としてだけ選び取られたものではなく、場合によっては嬉々として、著者自身が能動的にそうふるまっているような印象も受け、それをやや大仰に捉えるならば、プロレスが発する〈メッセージ〉をめぐる、〈送り手/受け手〉や〈エンコーディング/デコーディング〉といった二者関係の無効化が図られているようでもある。
で、まったく関係ない──というか話は急にただの懐古になる──が、このつぶやきもプロレスがらみで、スティーブ・ウィリアムスのこと。

3:07
なんで「殺人医師」なんだっけ。

スティーブ・ウィリアムスは 80年代なかばに新日、のち 90年代から全日で活躍したレスラーで、そのニックネームというか異名が「殺人医師」。で、これ、経緯としてはアチラで「 Dr. Death」と呼ばれていたのをこう訳したってことなんですな。じゃあなぜ Dr. Death? というのがつぎの疑問で、英語版のウィキペディアや、あるいはこの海外のブログ記事によるとそれは、もともと高校のレスリング部時代に付いたあだ名だとのこと。

「ぼくがもう百回くらいも鼻をグシャッとやっちゃって、そのつど試合を止めないといけないもんだから、余所から来てたコーチがぼくに、ホッケーのゴールキーパーがかぶる昔ながらのマスクを寄こしたんだ。で、ぼくがそれをかぶって試合をしたら、うちのコーチが “Dr. Death”って囃したんだよ」と、ウィリアムス。
The Story of the REAL Dr. Death – A Man Who Lived Countless Lifetimes. | The Only Blog That Matters

これ以上の文脈の説明はないものの、ホッケーマスクが Dr. Deathにつながるのはつまり殺人鬼・ジェイソン(『 13日の金曜日』)に見立てて、ってことか。とするとこの場合の「 Dr.」は「医師」ではなく、(「 Dr. K」がそうであるように)「専門家」とか「権威」とかってニュアンスだろうと思われ、そこを勘案すればより正しい日本語訳としては、ウィリアムスの異名にはまったくそぐわないものの、「死神博士」ってことになるのかもしれない。

本日の参照画像
(2019年2月19日 11:36)

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