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Jan.
2005
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/ 19 Jan. 2005 (Wed.) 「知識人は朝日を読む」

それで私は昼間、「Pink」のページをいじっていた。「Pink」の更新の主担当は妻(スタート時は結婚前だったが)であり、その更新は去年の8月を最後にすっかりとまっていて、で、「いじる」といっても内容の追加は何もないのだけれど、これまで a-News というフリーのCGIプログラムを使っていたそれを「HOME」と同様の MovableType を使ったブログに移行しようとは前から考えていたことで、思い立ち、その作業──実直なまでの手作業──をこつこつとはじめたのだった。それで移行は済んだが、妻が夜早々に──といっても2時近かったが──寝てしまい、今度からどう投稿すればいいかという手順の説明ができなかったためまだ妻は更新できない。
今日付の朝日新聞の夕刊には『トーキョー/不在/ハムレット』の劇評が掲載された。これで明日以降の動員(当日券)が目に見えて増えるとすればやはり朝日はばかにできないという話だが、と同時にもう少し早く載せていてくれたらとも思うのはけっして日々満席とは呼べない状況だからだ。ぴあ等での取り扱い分は早い段階で予定枚数を終了していたらしいが、直接扱っている分のチケットがまだ売れ残っていて、楽日だけは混雑が予想されなんとも言えないものの、少なくともそれ以外の回はまだまだ余裕がある。そもそも『トーキョー・ボディ』のときより(東京公演分だけで)4ステージも多いということに制作の永井さん自身が気がついたのがついこないだのことで、するとまあ単純計算で収容人数が800人分ぐらいは多いということになり、それほど急激に見に来る人の増えるような芝居(あるいは集団)ではないとすれば、お客さんの少ない日があったとしても当たり前か、とある日の楽屋では宮沢さんが納得するように口にしていた。で、その「朝日効果」、あるといいのだがと思いつつ、関係ないけれども以前まだ大学に在籍していたころ、ゼミ担であった石原千秋が冗談めかした口ぶりで「明治以来、知識人が読むのは『朝日』と相場が決まってるから」と発言していたのを思い出す。むろん知識人家庭であるわが家も朝日をとっているのでその劇評を見せると、妻は一読し、「うん、この説明はわかりやすい」となんだかえらそうなのだった。
丹生谷貴志『三島由紀夫とフーコー〈不在〉の思考』(青土社)を読了。昨年の暮れに手をつけて、たびたび中断をくり返しながら読んでいたもので理解も途切れ途切れだし、そもそもスピノザだのフーコーだのといった基本文献をこちらは押さえていないので、面白いと感じつつもその「面白さの予感」めいた部分にしか触れていないようなもどかしさがあって、そりゃ「まずスピノザを読めよ」という話だろうが、そうだな、読むかスピノザをと重い腰を上げさせられそうになるほどにどこかごつごつとした、ある意味「書き急いでいる」と感じるような強い意志を、とくに書き下ろしである序章と終章には感じたのだった。前回、ひどく面白いと読み進めつつも忙しさに紛れ中断したままになってしまっていた『女と男と帝国』の再読からまずははじめようと思う次第。

(2005年1月19日 23:59)

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