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Oct.
2006
Yellow

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/ 24 Oct. 2006 (Tue.) 「来し方いづくなるらん」

ごくごく久しぶりに、永澤がブログを更新していた。あいかわらず忙しくしているらしいが、こまかい近況はわからない。何度も日記のなかに登場させているから、ひょっとしてその名前だけはある程度浸透しているだろうかとも思うが、あらためて書くと永澤は私の友人だ。高校の同級であり、大学以降はずっと地理的に離れて暮らしているものの、二、三年前までは距離のわりに繁く会っていた印象がある。いまは長野県に住まっているはずだ。救急病院に勤めていて、これはこれで曜日のない、特殊な忙しさのなかに身を置いているらしいと、私が把握しているのはそれぐらいのことで、最近どうしているのか、こまかなことはよく知らない。市川崑がセルフリメイクする『犬神家の一族』(12月ロードショー)を楽しみにしているだろうことは想像に難くないものの。
「和製ブラックジャックさんへの10の質問」を読み返していた。2003年に作られた「Yellow」内のコンテンツだ。これも何度か説明している気がするが、そもそものはじめに私が作ったサイトは「Superman Red」(現「Red」)で、そこにははじめの数年間、日記に代表されるような「個人的なコンテンツ」が存在しなかった。当時、私は「個人ホームページ」というやつが大嫌いだった。
ここでいう「個人ホームページ」については、若干、語用上の説明が必要だろう。むろん、「法人」に対しての「個人」が運営するサイト一般のことを指すのがもっとも広義におけるそれなのだが、インターネット黎明期にほど近い当時、企業の手になるサイトがそれほど多く見られず、見渡せばたいがいが(広義の)個人ホームページだったこともあって、そのなかで特に「個人ホームページ」と呼ぶときにはもう少し異なったニュアンスが指し示されていた(ように思う)。
つまり、ウェブという新しいメディアを手にした者たちのなかには二種類の人間がいたのであり、(って、べつに何種類でもいいわけだが、仮に単純化して二種類とすれば)それは、発信すべき何かを持っていた人と、そうでなかった人である。「何か」の質はこのさい問われない。クルマ好きは「クルマについてのホームページ」を作ったのだし、サッカー好きは「サッカーについてのホームページ」を作った。自分の住んでいる街についての情報を発信した者もいたし、誰か有名人のファンサイトをこしらえる者もいたそのなかに、「何か」を思いつかなかった者たちがいたのであって、彼らが微苦笑をするようにして選び取ったのが「『私』についてのホームページ」だった。彼らの十中八九は、まずサイトにこう記した。「とりあえず、日記でも載せようと思います」。──ここに登場したものこそが、私の言う狭義の「個人ホームページ」である(と、ひとまず思っていただきたい)。
若さから来るものだろうか、私はその「個人ホームページ」的なるものが大嫌いだったのである。ところが、あるときからそれに魅力を感じるようになる。「Red」のなかで「コーナーの日記」と題した日記のコーナーを開始し、その後、「個人ホームページ」的なるものの可能性を探るための実験室「個人ホームページのために」のなかで、「相馬の日記」を投稿してもらい、投稿してくれたその人の日記を私が書くという──つまり署名を交換する交換日記であるところの──「他者の交換日記」という遊びをおこなった。そうして次に、この「Yellow」(当時は「Superman Yellow」)を別サイトとして立ち上げることになる。
いまは(そのかたちでは)残っていないが、初期の「Yellow」の体裁はいまとだいぶ異なり、トップページを左右に二等分して、左が私の日記、右が掲示板になっていた。掲示板に集まる主に私の友人たちとやりとりするなかから日々の文章を紡ぐ、それこそ「永澤」という固有名詞を(あまり説明もなく)連呼するようなそうしたコミュニティーを、「公共」とされる場のなかに置いてみることがいったいどういうことなのかを探る──どこまでいっても話は抽象的で申し訳ないけれども──、私のなかで当時「Yellow」はそうした遊びの試みだった。その遊びのなかで生まれたひとつが──話はやっと戻ってきた──「和製ブラックジャックさんへの10の質問」である。
あの頃よりももう少し頭の良くなったいま、またそうした遊びがしたいとも思うのである。

(2006年10月26日 05:00)

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