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Jul.
2007
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/ 29 Jul. 2007 (Sun.) 「選挙」

アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義—多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』(勁草書房)。「ベストな」民主主義を探る比較政治学の現代の古典。狭い経験に依拠するだけの印象論を排し、データにもとづいて民主主義を語る。小選挙区制、二大政党制、議会に対する政府の優越などのイギリス型デモクラシーを理想視する通説に、経験的研究の立場から異議を唱えた古典的著作。36ヶ国の分析から多数決型民主主義だけが民主主義ではないと主張する。

選挙だった。結果はご存知のとおり。「安倍晋三が良しとされる事態ばっかりはちょっとまずいだろう」ということからすれば、何はともあれ一歩前進と捉えなければならないが、と同時に、やっぱり小選挙区制による二大政党制への流れのことを考えると、うーんと思い、立ち止まりたくなる。自民党がそうであるのと同様に、民主党もまた政策でまとまっているわけではないことはよく指摘されるところだが、考えてみれば、仮に二大政党制というものが文字どおり(そしてまた理想的に)かたちになったとして、そのときには当然、これまで〈政党間の差異〉としてあったものがそのまま〈政党内部の差異〉として組み換わるはずだし、中小政党の側が〈政党間の差異〉として存在し、自民党ひとりが〈政党内部の差異〉を孕んだ大政党としてある状態がそれと差異の幅としてはあまり変わらず、ただ政権交代をのみ起こりにくくしている(そして政権交代が起こらないために政・官の関係が固定化される悪循環のみを生む)のだとすれば、むろん次善策としての二大政党制は肯定されるべきだろう。──とはいうものの、はたしてそううまくいくのかという危惧はどうしたってある(なにしろこの美しい国は何度も戦争を起こしているのだ)
そこでちょっと調べてわかるのは、われわれのこの小選挙区制が「単記非移譲式投票」と呼ばれる投票方式だということで、ほかにはたとえば、オーストラリアで行われている「優先順位付連記投票」というものなどがあるらしい。「優先順位付連記投票」というのはつまりこう。
まず、投票者は全候補者に対して順位を付けなければならない。仮に候補者が5人いれば、1〜5までの順位を付ける(1位だけを書いた票や、3位までしか順位を付けていない票などは無効)。小選挙区制なので当選するのはひとりだが、最大の縛りは、当選するには有効投票数の過半数の得票が必要だということ。むろんまずは〈順位1〉の票を数え、そこで過半数に達する候補者がいればその人が当選になる。で、そこで過半数に達しなかった場合だが、仮に5人の候補者(A、B、C、D、E)がいて、有効投票数が1,000、〈順位1〉の得票がつぎのとおりだったとする。

  順位1の得票
350
270
190
130
60

 この場合、いちばん票の少なかったEの落選が決まり、Eが得票した60票が、その〈順位2〉に従って再分配される。Eに投票した60人の、2番目に支持した候補者が次のとおりだったとしよう。

0
30
5
25

 と、こうなる。

  順位1の得票 順位2の得票(E) 合計
350 0 350
270 30 300
190 5 195
130 25 155

 まだ誰も過半数に達しないので、最下位のDが除外される。この時点でのDの得票のうち、「130」が〈順位1〉による得票、「25」が〈順位2〉による得票だから、「130」を〈順位2〉に従って、「25」を〈順位3〉に従って再分配する。それでたとえばこうなった。

  順位1の得票 順位2の得票(E+D) 順位3の得票(E) 合計
350 0 + 50 0 400
270 30 + 50 20 370
190 5 + 30 5 230

 この場合だとまだ過半数に達しないので、Cの「230」(つまり、「190」の〈順位2〉と「35」の〈順位3〉と「5」の〈順位4〉)を再分配し、これでAかBかのどちらかが決まるというわけだ。Cに投票した人がA・Bどちらを「次点」と考えるかによっては、〈順位1〉で最多得票だったAを、最終的にBが逆転する場合もある。
なるほどなあ。いろいろ考えるもんだよ。これ、今回の東京選挙区でもって考えてしまうと、順番的にまず考慮されるのがたとえば「又吉光雄」とか、あるいは「マック赤坂」とかを〈順位1〉とした人が、誰を〈順位2〉にしたかってところからはじまるわけだからいささか徒労感が漂わないでもないけれど、もっとわかりやすく、「定数1」のところに自民党・民主党・共産党がひとりずつ候補者を出している場合を想定すれば、自民党と民主党はそれぞれ、共産党を〈順位1〉とする人たちの〈順位2〉を獲得すべく、いくぶんかでも共産党の政策を取り入れなければならなくなるというわけだ(まあ、これもそううまくいくかは別として)
あとね、これやるといまのような調子じゃ「選挙結果」が出なくなるね。集計にすごい時間がかかる。じっさいオーストラリアでは、大勢は翌日には判明するものの、最終結果が出るまでには数日以上かかる場合もあるらしい。
さて、とはいえ、いずれにしたって「多数決」であるからには「少数派」が生まれざるをえない(また生まれなければならない)わけで、問題はそこをどのように視野に入れるか/入れさせるかだろう。さらにもう少し調べれば、「小選挙区=二大政党制」を称揚する現在の流れをつくったのはモーリス・デュベルジェという政治学者の1970年代の研究(「デュベルジェの法則」)であり、それがいまも多くの政治家に浸透しているが、70年代以降研究はさらに進み、たとえばアーレンド・レイプハルトは36か国に及ぶ実証研究のなかから、2党制および2.5党制を含む「多数決型民主主義」よりも、優位政党のある多党制または優位政党のない多党制による「合意形成型民主主義」のほうが優れていると結論付けているらしいことがわかる。ウィキペディアの記述であることを断らなければならないが、たとえば、

レイプハルトによれば、その国が多党制になることは、そういう政治風土があるからであり、選挙制度は関係がなく、また小選挙区制によって機械的に政党数を減らすことが出来たとしても、かえって社会問題、経済問題などを民主主義以外の解決方法(すなわち暴力的方法)へと誘導しかねないという論拠に立った。
政党制 - Wikipedia

 という。
そしてまた、いとうせいこうさんのブログにあるのはこのような言葉だ。

 選挙結果にも色々感慨はあるが、小田実の死がむしろ印象的だった。
 二大政党制へと日本が大きく動いた日の、一市民運動家の消失。
 この死の鮮やかさを、我々は忘れてはならないだろう。
 二大政党制がそのまま、マイノリティの無視という事態を引き起こさぬように。
2007/7/28|readymade by いとうせいこう

本日の参照画像
(2007年7月31日 16:41)

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