10
Oct.
2007
Yellow

最近のコメント

リンク

/ 7 Oct. 2007 (Sun.) 「庭男かよ」

くっそー、くやしいなあ。もっていかれたよ。
あ、7日の朝に更新された「富士日記 2.1」の10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」をもしまだお読みでなければそちらを先にどうぞ。

坂庭庭男
「富士日記 2.1」(10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」)

やられたなあ。やられたよ。朝、声に出して笑った。パソコンを離れて、換気扇のところで煙草を喫いながらまた笑っていると妻が起きてきた。「どうしたの?」と言うので「富士日記 2.1」を見せると、読んで妻は言う。「よかったね」。
あるいはじっさい、稽古場においてはすでに、たとえば私もよく知る例の「笑えるダメ出し」の折りなどにこの「〈ニワさん〉の真実」についての言及があったのかもしれず、その可能性を補強する材料としてはこの「ニワさん」という浩の呼びかけが本公演用の台本で新たに付け加わったものだということがある。プレ公演まではこの呼びかけはなく、記憶がたしかなら、「のどが渇いた、ジュース、買って来ちゃだめ?」というここの浩のセリフは坂庭でなく、加奈子に対して直接発せられていたはずだ。(あ、だから「ニワさん」という浩の呼びかけに私がひっかかりをもったというのはほんとう。というか最初はあそこ、浩が何と言っているのかわからなかった。)
ではあるけれど、大笑いののち、私としてはひとまずこう言わねばならない。

 それ、いま考えたでしょ。ぜったい。

 ま、そう考えるとうれしいってことがあるわけですがね。と同時にこれ、くやしいのは、もし自分が「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」をほんとうに書いていたとして、俺、「坂庭庭男」といった方向に跳べたかなあということだ。なんてくだらないんだ、「坂庭庭男」。
ところで、「ポリュネイケス再考」[10月2日付]のようなものを書くときの私の基本的な態度はいわば「テクスト派」と呼ばれるものになるが、〈作者の死〉を宣告したロラン・バルトに源流を置くその態度からすれば、むろん、テクストをめぐって宮沢さんが言う、

作者もわからない。
「富士日記 2.1」(10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」)

というその事態はしごく当然のことでもあると、まじめな方向からはそれを指摘しておきたい。まさしく「引用の織物」であるテクスト(あるいはインターテクスト)のなかでは、作者も読者も、等しくその結節点のひとつして存在するほかはない。
で、それはそれとして、しつこいけどいまは「坂庭庭男」だ。やられたよ。また新たなテクストが織られた。「ペリドットと行く、さっぽろラーメン食べ歩き四週間──ほかのものも食べました」はただもう宮沢さんを笑わすことだけ考えていたのだが、見事にひっくり返された。カド取られた。(ってなんの日記だこれは。)
さて、きのう(6日)は昭和女子大学人見記念講堂で行われた『サンディーズフラスタジオ ホイケ2007』へ。かつてのサンディー&ザ・サンセッツで知られるサンディーさんが開いているフラ教室(いわゆるフラダンスの「フラ」。本来はダンス、演奏、詠唱、歌唱のすべてを含んで「フラ」)の「ホイケ(お披露目)」で、義姉がその中級クラスに籍を置き、出演したのを妻と観に行った。サンディーさん、いいね。あと、やっぱりうまい人はうまい。大人のうまさがあるのと同時に、こども(いまどきでかなり背が高いのだが中学生とか、ひょっとすると小学校高学年ぐらい?)のうまさもあり、それ、やっぱり小さいころからやってるとすごいよといったような、いわば「スポーツ的」なうまさの魅力だ。
で、きょう(7日)は朝、回覧板で呼びかけられていた、町内会の廃品回収の手伝いへ。はじめて出た。わりと働いたよ。しかしまあ、異なる世代の会話というか、町内会のおやじたちがしゃべっているのを横で聞いているは楽しい。培われた個性の魅力もあるし、あと単純な話、生の会話のなかで「ずっこける」といった言葉(東京方言で、落語の「ずっこけ」にあるような本来の用法で使われたそれ)が出てくるのにもちょっとうれしくなる。

(2007年10月 8日 07:56)

関連記事

トラックバック(0)

このエントリーのトラックバックURL:
https://web-conte.com/blue/mt-tb.cgi/273