/ 20 Jun. 2008 (Fri.) 「遠くで逝くひと」
これは二〇〇三年夏の写真。
■まだ終電ではないという時間に会社を出て、JRの四ツ谷駅に着くと、ひと目で何かあったとわかる数の人が改札の内と外にごった返している。アナウンスは三鷹駅付近での信号機故障を告げていて、あきらめた顔もあれば、抑えられずアナウンスに茶々を入れる声もあるが、ほどなくして運転再開の報があり、ぎゅうぎゅうというわけでもないからそれに乗れば、じつに1時間30分遅れでの発車だという。私はたいへんついている部類ということになる。再開といっても依然三鷹までの間には相当の列車が詰まっているので、しばしば駅で停止しながらの運転だが、そこで、ここぞとばかりに読書だ。これ(どれ?)でいてけっこう気の散りやすいほうなのだが、わりと集中することができた。座ってしまうとね、電車はなぜか眠くなるから、このさい立ちんぼであるのも好都合である。小田亮『構造主義のパラドクス—野生の形而上学のために』(勁草書房)。大学時代に買って以来ことあるごとに手にしつつも(そのつどアタマから読んでいるのだが)、ついに最後まで読んだことのない本書は、しかしもっとも好きな本のひとつだ。いつの日かここに書かれている「構造」を体得し、「構造主義者」として世を送りたいと夢想する。今度は最後まで読めるだろうか。と、いつのまにか電車は中野駅に着いていて、そこでまた長い停車を余儀なくされているが、同時に私はひどく自由な気持ちにさえなっている。目に飛び込んでくるのはレヴィ=ストロースの次の言葉だ。
《神話の輪舞の描く大地は円い》
■チコという名の犬が死んだ。夜、息を引き取ったと嫂からメールをもらう。茨城の実家で飼われていた犬だ。十八歳だというから、拾われたのはわたしが十四のときだ。墓場に捨てられていたのを母が連れてきたと記憶している(実家は寺で、だから墓場というのは「うちの墓場」である)。遠くで逝った犬のことを思う。十八年は長いな。最近はめっきり体力が落ち、ほとんど足腰の立たない状態であったと聞いていた。「(帰省時にまた会えるかと思っていたが)お盆までもたなかったか」と妻は残念がる。ま、「お盆に会える」ことに結局変わりはないのだけれど。
先ほどチコが息を引き取りました。
学校から帰った麻夏がジャーキーの袋を持ってチコの所へ走っていましたが
晩ご飯を9時頃お母さんがあげに行ったら
毛布に顔を突っ込んでいて
「チコちゃんがなんだか目がとろんとして虫の息なの。」
と云うので、
私も慌てて見に行ったら、もう息が止まっていました。後ろ足がぜんぜん立たなくなって
クサリがからまるので
はずして、サークルの中に飼っていました。
六角形で夜はブールーシートをかけるので
立派なドームテントみたいでした。ちょっと引っかかったりするとキャンキャン鳴いて
すぐ助けを求めていたのですが、
今日は朝からあまり鳴き声がしなかったです。
18歳でした。
18年も一緒に暮らしたなんて長いね。
高校三年までと同じだね
遠く「で」逝った犬は、しかし遠く「へ」逝ったわけではない。わたしのごくごく近くにいるだろう。それとも、やっぱりそこは遠いのだろうか。はるか西、十万億土[じゅうまんのくど]の彼方。金斗雲ならひとっとびだぜ。
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