/ 25 May. 2009 (Mon.) 「その後/『グラン・トリノ』」
■これ笑ったなあ。「11」かよ。てんでやれてないのだった。
■21日の夜に前回(20日付)の日記を書きながら、9日の夜から長らくわたしを悩ませているその「鯖風邪」について言及するうちに、まてよ、これ結核ってことはないのかという疑念がふつふつと湧く。そのとき参照したのは、大塚製薬のサイトにあるこの啓蒙ページ。咳やタン、微熱、倦怠感といった初期症状はまったく風邪のそれだが、良くなったり悪くなったりを繰り返すところが異なり、つい風邪だと思って対処するうちに重症化するのが典型的な経過だという記述に、ごく単純にどきっとする。でまあ、けっきょくちがったのだが、ついでに紹介すれば、その後に見つけたこの記事もひじょうに手際よくまとめられていて参考になる。
■22日。というわけで会社のちかくにあるかかりつけの病院へ。「良くなったり悪くなったりを繰り返し、長引いている」ということを伝えないと意味がないと思い、行く前に日記を見返して症状の経過をメモにとっていく。「で、きょうはどうされました?」と訊かれて悠揚とそれを読み上げたが、「いいからもっと早く来てもらいたいですね」と叱られた。結核を心配していると伝え、それでレントゲンを撮ることになったが、結果はシロ。結核や肺炎のたぐいではおそらくないという所見である。となると、症状は目下ほんとうに「ほぼ治りかけている風邪」でしかないのだったが、いちおう抗生剤と咳・タンの薬とを処方してもらう。でまあ飲むのだけど、いやあ、あれだね、効くね薬は。
■23日、予習三本目は『ガントレット』(クリント・イーストウッド監督・主演、1977年)。
■24日、地域のソフトボール大会が早朝から予定されていて(といってプレイヤーとして参加するわけではなく、例の町内会の役回りとしてごくごく末端の運営サポートをするのだが)、そぼ降る雨のなか、とくに中止の連絡もないので傘を差し、競輪場のちかくにある(駐屯地のちかくでもある)運動場に歩いていったが、向かう途中で雨が強くなり、ちょうど行き違うようなかっこうで家に中止の連絡が入る。日延べということらしい。
夜、『グラン・トリノ』。なにせ妻がこれから観る予定なのでなるべくネタバレにならないよう書こうと思うのだが、まあなんだ、大泣きである。
戦争を始め、自動車を作り、ずっと作り続けてきたのでそこそこ資産(工具=工場=生産設備)もあり、人種偏見を隠そうとせず、周囲から疎まれ、かと言って宗教におもねることもできず、気まぐれに(しかし自らの振る舞いが招いた結果でもある)マイノリティを引き受けたものの、守ることもできず、良かれと思って行使した武力・暴力がむしろ悲惨な結果を招く、そんな国、アメリカ。
物語では、そんなアメリカを象徴してきた主人公が死期を悟って一人の男に戻り、すべての落とし前をつけ、次の世代に希望を託す。
Ogawa::Buzz: GRAN TORINO
たとえばこうした、すぐれて妥当であると思われる〈意味の素描〉が、しかし、「なぜ、クライマックスシーンの【あの瞬間】に涙があふれるのか」という問いにたいしてはまったく用をなさない──そのことこそが、この映画の〈奇蹟〉を物語っているだろう。つい思い起こされるのは、『八月の狂詩曲』のラストシーンについて言及する黒澤明監督のつぎのような言葉だ。
パラソルがオシャカになって、あすこでみんな泣くらしいね。投書がたくさんくるんだけれども「あれは一体何だ」というんだよね。「あすこでどうして涙が出てくるのか」と。あれは何だと言われても、僕も説明できない。要するにあれが映画なんだよね。映画になっているところなんだよ。何がどうしてというのではなくてね、あすこでもって「完全に映画になった」んだよね。いろんなものが一緒くたになってあすこでばーっと涙が出てくるらしいんだけれどもね。
「クライマックス」という言葉をつい使ったが、もちろん便宜上のことで、『グラン・トリノ』──そして予習に見たどれもこれも(『トゥルー・クライム』『目撃』『ガントレット』)──は、ただひたすらに〈静か〉である。そのことにいまはただ驚かされている。
■25日は『許されざる者』(クリント・イーストウッド監督・主演、1992年)。復習というよりか(妻のための)予習。やっぱり、こればっかりは先に見といたほうがいいというお節介なのだった。
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