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May.
2009
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/ 27 May. 2009 (Wed.) 「『グラン・トリノ』二回目/CLUB DICTIONARY#3」

『ユリイカ』2009年5月号(特集=クリント・イーストウッド)
『文學界』2009年5月号

有給を使い、きょうは会社を休む。昼間、『グラン・トリノ』二回目。
多少冷静さを取り戻しはしたものの、やっぱり泣いてしまった。そういえば一回目のときは開映まもなくの、隣家で開かれている出産祝いの場面、赤子の未来を予祝する占いのようなところでもう泣きそうになってしまった。あれはなんだったのだろう。きょうは字幕もあまり気にせず(気になるが)、ただ出てくるものを出てくる順番に目にしようと努めたのだったけれど、けっきょくはウォルト(イーストウッド)の佇まいにはっとさせられるばかりで、「はい次、はい次」と、ついにエンドロールまで運ばれてしまった。
このあいだは売り切れていて買えなかったパンフレットを購入。5月号の『ユリイカ』に収められた対談で黒沢清さんが、

ちなみに『グラン・トリノ』のパンフレットのフィルモグラフィーでは、整理ではなくて、人を混乱させるのが目的であるかのように、これでもかというくらいに主演作、監督作、監督主演作、監督製作作、監督製作主演作というふうに分類されています。頼むからそんなに分けないでくれと(笑)
徹底討議「イーストウッドは何度でも蘇ってしまう……」蓮實重彦 × 黒沢清(『ユリイカ』5月号、p.37)

と言及しているところのそのフィルモグラフィーでは、『グラン・トリノ』を監督29作目としている。まあその、前回の日記でつい『八月の狂詩曲』を持ち出したのはじつはそういうこと(『八月の狂詩曲』は黒澤明の29作目)だったりもするのだが、でも、イーストウッドにまったく明るくないわたしはパンフレットにその記述を見つけるまでほんとうに29作目(と数える数え方があるの)かということに自信がなく、はじめ、同じく『ユリイカ』にあるイーストウッド監督へのインタビューで聞き手が次回作を指し、「モーガン・フリーマン、マット・デイモン主演で、マンデラ大統領をテーマにした三〇本目の監督・製作作品」と言っていることから29作目なのかと思ったものの、たとえばこれも同号の「クリント・イーストウッド監督作品ガイド」では『恐怖のメロディ』から『グラン・トリノ』までで計31本の作品を挙げているし、また日本語版のウィキペディアでは30本がリストアップされていて、うーん、29作目とは数えにくいのかなあと思い、前回、数の符合については触れずにおいたのだった。ってどうでもいいことながら。ちなみにおそらく、『グラン・トリノ』を29作目と数える数え方では、『ユリイカ』の作品ガイドにある31本のうち『タイトロープ』と『ピアノ・ブルース』を含めないのだと思う(って書いてたらなんだ、本国のWikipediaがそうじゃないか)
いや、そんなことに字数を割いてないで二回目の『グラン・トリノ』はどうだったんだという話だけれど、前述のとおり、わたしはただ「エンドロールまで運ばれてしまった者」である。こちらは『文學界』の5月号にある鼎談で、

阿部
ですから、さきほどの映画の記憶という点から言えば、これほど楽しめる作品もないわけです。
青山
何しろ『荒野の用心棒』から観ていけば、全部入っているわけだから。
蓮實
しかも、それを知らない人たちが楽しめないということでもない。

鼎談「クリント・イーストウッド、あるいはTシャツに口紅」蓮實重彦 × 青山真治 × 阿部和重(『文學界』5月号、p.181)

と言われてしまうところの、「それを知らない人」であるよ、なにしろわたしは。
夜は表参道にある「EATS and MEETS Cay」へ。「CLUBKING」が主催する月イチのクラブイベント「CLUB DICTIONARY」に、「赤塚不二夫論」をひっさげて宮沢(章夫)さんが出るということで、それを聴講しに。ほかにもさまざまな出演者があったが、宮沢さんのすぐ前には「羊」(大堀こういちさんと小林顕作さんによるフォークデュオ)のライブがあり、大堀さんを堪能。「羊」、かなりあたたかく迎えられていた。
宮沢さんの「赤塚不二夫論」は、以前に早稲田大学で行った講義の一回分(「サブカルチャー論」のなかの一回)にあたるそうで、だからもとは90分の授業枠のなかで語られたそれを、多少の割愛と、なぜか足されてしまった新たな素材、そしてあとは早口でもって「30分でやる」というのが今夜のそれ。第一声の「宮沢章夫です」からして「うわっ、なんだか〈やる気〉だ」と思わせるような声量と調子で、一気に畳み掛ける宮沢さんである。
講義内容としては、同時代的な状況と文脈のうえにあらためて「赤塚不二夫」という表現者を布置させたうえで、『天才バカボン』を中心に、その代表的な実験(「方法」上の実験)がどういったものだったか、じっさいの作品をスライドで示しつつ紹介するというものになり、だからまあ「論」というよりか、趣きとしては「赤塚不二夫再入門」といったテイストなのだが(ま、30分だしね)、とはいえ聴いていて、「こういう授業はやっぱり楽しいし、必要なのだ」とあらためて思わせられもする(というのもなにせ、客席の反応がわりと「バカボンってこんなだったんだあ」という感じのものだったからだ)。奇しくもそれは、前掲の『文學界』の鼎談のなかで蓮實さんがつぎのように発言するのと響き合うような、まったくもって「大学の授業」なのだった。

蓮實
本来はそういうこと映画の記憶/引用者註]は大学という場できちんと教えるべきことのはずなんですけどね。別に解釈を加える必要はない。単に事実としてこういうことがあったということは踏まえるべきだとは思う。

鼎談「クリント・イーストウッド、あるいはTシャツに口紅」蓮實重彦 × 青山真治 × 阿部和重(『文學界』5月号、p.181)

本日の参照画像
(2009年5月29日 20:22)

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