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May.
2009
Yellow

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/ 28 May. 2009 (Thu.) 「その川面に」

『ミスティック・リバー』

DVDで『ミスティック・リバー』(クリント・イーストウッド監督、2003年)。仰ぎ見られた曇天の白と、見おろされた舗道の鼠色とが印象深い。
終盤、ジミー(ショーン・ペン)とショーン(ケヴィン・ベーコン)のふたりのシーンで、「遅かったがな」とジミーが言い、その意を汲み取るような表情をショーンが見せる。ふたしかな記憶だが、そこには白い曇天があった。カタルシスは、この作品において白の側にある。「あ、ここで終わるのかな」と、わたしは甘えたことを思ったのだった。むろんああしてはじまった以上、〈枠〉として、舗装コンクリートに残された署名──それは鼠色である──へと戻らないことにはその円環が閉じないだろうことがじゅうぶん予想されるわけだが、とはいえ、ここで終わればどうにか、なにがしかのカタルシスを手にできるだろうとわたしはすがるように曇天の白を見ていた。
けれど映画は終わらず、まだか、まだあるのかというほどにカットを重ねて、死のカタルシスではなく、──「この話はこれでいいの?」という妻の素朴な感想が示すとおりの──すっきりしない生を語りつづける。そうして署名のカットを経たさきに辿り着くのが、鼠色の上に白が反射する、あの川面である。そのことに思い至ったとき、阿部和重さんがあの川面を指して「映画としての自己言及的な試み」と呼んだ、その意味がわかるような気がしたのだった。

阿部
(略) 最後に俯角で澱んだ川を撮っていて、そこに日光が反映してキラッと光る。この川は映画のフィルムそのものなんだと思いついて、それが先ほどの俯角と仰角の画の関係性みたいなところに行き着くわけです。フィルムというのは、映画にとっての肉体であって、それが光を受け止めることで成立するわけです。

鼎談「クリント・イーストウッド、あるいはTシャツに口紅」蓮實重彦 × 青山真治 × 阿部和重(『文學界』5月号、p.181)

本日の参照画像
(2009年5月31日 22:47)

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