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Oct.
2010
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/ 14 Oct. 2010 (Thu.) 「初日直前日記」

わたしがいま、つい「未来」というキーワードを持ち出しがちなのはこれを読んだりしているからだ。カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来──可塑性・時間性・弁証法』(未来社)。でもこれ、すげーむずかしい。さっぱりわからないと言っても過言ではない。

こちら、きょう(14日)付の朝日新聞夕刊に載った紹介記事です。

『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』は明日、というか日付変わってきょう、もう何時間か後には初日の幕があく(いや、「幕があく」というのはあくまでレトリックで、じっさいには剥き出しの、じつにかっこいい舞台装置がわれわれを待っている)
相当な舞台だと思う。いや、相当どうなんだよって話だけれど、いま、ちょっと適当な言葉が出てこない。「相当面白い」のではない──それを言うならきっぱり「面白い」──し、「相当かっこいい」のでもない──その点もやはり、きっぱり「かっこいい」──のだが、そうでなく「相当」な舞台なのだと、曖昧な言葉を使って紹介したい思いに駆られる。たとえばこういうことかもしれないというのは、「相当気持ちいい」ということだ。
9日(土)、10日(日)、11日(月・祝)の三連休にひさびさ稽古場へ行き、そこではじめて「通し」を見た(通し稽古は三日間ともあった)。稽古初期からすると、構成も個々のシーンの演出もずいぶん変わっており、しばらく稽古場から離れていたから全体としてどういうことになっているのか、どうはじまりどう終わるのかも知らないままに9日の通し稽古を見たのだが、ラストシーンもなかばにさしかかり、ああ、これでどうやら終わりにむかっているのだなという感じが舞台上から伝わってきたそのとき、ふと、「これで終わると、どうだ? 物足りなくはないか?」という懸念が湧くのを感じた。けれどどうだ。じつにぴったり「物足りた」のである。ああそうかと、舞台が終わるあのラストの瞬間に、何の過不足もなく「腑に落ちた」。その不思議な体験を、また少しちがう言葉で書いたのがこのつぶやきになった。

『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』。その舞台上には〈未来〉がある。希望とも絶望ともつかず、ただただ明日へとつづく〈未来〉がある。それを観に行こう。眠りの先の、朝を夢見る者として。

 つまりこれは、相当な舞台なのだ。
なにしろまだ初日の幕もあいていないので、きょうのところはこの程度の、抽象的な物言いにとどめさせていただきたい。そして何より、舞台を観ていただきたい。後半の、20日(水)、21日(木)、22日(金)といったあたりはとくに席に余裕があり、まだまだ予約が可能です最新の残席状況はこちらのページにて随時更新されています。また、当日券の販売枚数については遊園地再生事業団のTwitterアカウントにて、公演中毎日、その日の朝11時につぶやいています)。わたしを窓口にしてご予約いただくのでもかまいません。お気軽にお問い合わせください。
単純な一観客の立場であったなら、きっとわたしは三度観たでしょう。一度は必死に考えながら、もう一度は何も考えずに、そして最後は、目の前に立ち現れた、いまここにしかいないこの役者たちとの時間を惜しみつつ。
では、劇場で会いましょう。

本日の参照画像
(2010年10月15日 13:45)

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