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Apr.
2012
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/ 26 Apr. 2012 (Thu.) 「六代目」

いや、これは五代目です。そりゃまあ、五代目ですよ。『落語研究会 五代目柳家小さん大全 上』。

柳家小里ん・石井徹也『五代目小さん芸語録』(中央公論社)。

6:33
起床。
8:28
MT 5.13アップグレード。ラジオ・ラストソングスのCAPTCHA問題。
14:46
おいおいおい待て、MT5。
21:00
小さんひとり千一夜「第五夜 春はひねもす」。与太郎の春(ろくろ首・錦の袈裟)/小さん〈仲入り〉愛宕山/小さん。
23:22
おいおいおいMT5。

三代目といえば小さん。六代目といえば圓生? 松鶴? 柳橋? それとも? 
夜、渋谷で柳家小さんの独演会。渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(というのは、ルアプルのミーティングでよく使っているあのジョナサンのごくちかく)。会の監修をしている高平哲郎さんと旧知のKさんにチケットをたのんだところ、なんと招待扱いになってしまい恐縮する。

与太郎の春(ろくろ首・錦の袈裟) 柳家小さん
〈仲入り〉
愛宕山 柳家小さん

 前座や助演はなしのまさしく独演。襲名後の当代小さんを聞くのは3月28日の「落語研究会」につづく二度目で、その前はずっとさかのぼって三語楼時代に幾度か聞いている。
共通項のあるふたつの古典落語をつなげて一席に仕立てる「一席二噺」という趣向が会の売りで、今回は「ろくろ首」と「錦の袈裟」を前後につなげて「与太郎の春」。「ろくろ首」のサゲの箇所まで行ったあと与太郎はけっきょく、昼間はお屋敷、夜は母親のいる長屋に帰って寝るというサイクルでもって生活をはじめる。そんなある日のこと、お嬢さんを乗せた人力が大八車と衝突、怪我で伏せったお嬢さんを与太郎が熱心に看病するうちにふたりの結びつきも強くなるが、気づけばむち打ちになったお嬢さんの首が伸びなくなっていて万々歳、理を詰めればややうやむやのうちにだが夫婦はそれを機に長屋住まいに、三年の月日が流れて、お嬢さんの言葉遣いも長屋のおカミさん然としたものにすっかりあらたまった、として「錦の袈裟」へ。発端となる若い衆の寄り合いの場面(隣町との見栄の張り合いという要素)はカットされ、「錦のふんどしが入り用になった」という相談を与太郎がカミさんに持ちかけるところから。
小さん自身が「東京かわら版」5月号のインタビューで、

噺家にとってくっつける意味はあまりないね。
「CD発売によせて 六代目柳家小さんにきく」「東京かわら版」平成24年5月号、p20

と言っているように、一席二噺という形式はあくまで趣向のものであって、そこにとりたてての「意味」はない。ふたつの噺を有機的につなげるということが目指されているわけでもさほどない印象で、そこはむしろ、「お嬢さんの言葉遣いもすっかり長屋のカミさん口調にあらたまりまして」という〈ご都合主義的つなぎ〉がギャグとして利用されているふうでもある。どうせなら「錦の袈裟」でも丁寧な言葉のまま(って、「ろくろ首」でお嬢さんはひと言もセリフがないけど)、お嬢さま育ちを思わせる受け答えで錦のふんどしの相談に乗るという演出が試されてもよかったのではないかと聞きながら思ったけれど、ま、そういうことでもないかというのは、じゃあ「お嬢さんの家は金持ち」という設定との折り合いはどうなったのかということもあるし(想像で補うなら、おカミさんは「金がない」から錦を買わなかったのでなく、「倹約」で買わなかったということか)、またそれを言えば、そもそも「錦の袈裟」という噺自体が理にかなった筋・設定なのかって話にもなってくるからだ。
ま、当代小さんを真っ向からけなしてきた「落語好き」には、きっとこれも一蹴されるだろうなという高座ではあるのだ。つなげて演る意味がない、「素直」に演じて噺そのものの魅力をこそ引き出すべきといった声は容易に想像されるし、そうした声をねじ伏せるだけの上手さ、面白さはない。随所に入るクスグリも、「小さん」(という名跡が期待させるところの芸)を聞こうという向きにはただ「余計な入れごと」と映ることだろう。
なのだけれど、にもかかわらず、「聞いてられなくはないな」と──なんて消極的な肯定のしかたなのかって話だけれど──そう受けとめつつ聞いている自分がいて、何よりわたしはそのことに驚いている。なにしろわたしは2005年当時、三語楼の小さん襲名が決まったというニュースに接して、ブログにこのように書いていたところの者である。

「ここ3、4年、急に存在感を現した」と小三治が評しているところの最近の高座は知らないので、まあ、何とも言えません。コメントは差し控えたいと思います。先代小さん存命の当時に寄席や落語会で数回出会ったことのある三語楼に関しては、ほんとうに退屈な印象しかありませんけれども。
web-conte.com | blue | 三語楼が六代目柳家小さん襲名へ、だそうで

 こう書いたのはたしかにわたしだし、たとえば2001年11月の、先代小さん目当てで行った会での三語楼の高座が「聞いてられない」ものだったという記憶はいまだわたしのなかに生々しいけれど、しかしいま、わたしは、ことによるとここから、まぎれもなくあの「小さん」の「六代目」が生まれるかもしれないという期待(/幻想?)を抱いてもいて、こうなるともう、演じる小さんの変化云々というよりも、むしろ聞く側の、わたし自身の変化なのではないかと考えざるをえない部分もある。ちなみに、その2001年11月23日、先代小さんを聞いた日の日記がこれ。見事に三語楼にはいっさい触れていない。

▼行けなかった人たちには申し訳ないというか、いやそれはそれとして今後もまめにチェックしていかなくてはいけないというか、「小さんの落語は今が聞きどきだ」という小三治の言葉はまったく言葉そのまんま取っていただきたいところなのだった。ネタは「ふだんの袴」。
▼86歳の名人の、口跡鮮やかでなく、そうしてやたら確かな手つきで口からこぼれるのは全部落語。いつしか落語。何をばかなことをしゃべってるんだこの人は。
11月23日(金)「小さんを見る」

 五代目小さんが亡くなったのはこの半年ほどあとのことである。
「小さんひとり千一夜」の会のマクラやクスグリは、その大半(?)を監修の高平哲郎さんが書いているらしい。高平さんなので、むろんそれらは「小さん」を神格化しようとするような方向には向かわず、むしろ神格化された「小さん」──落語そのものの表象であるようなその名前──を、肥沃なイロモノの大地へと引きずり下ろそうとするかのような企みに満ちている。何とも強力で、贅沢なその夾雑物(褒め言葉)のなかにあって、それでもなお──それだからこそ?──、かれのなかの「小さん=落語」がその朴訥とした表情を見せる瞬間があり、その瞬間にこそ六代目の魅力と可能性はある。

五代目小さん亡き後、六代目柳家小さんを襲名して早5年。得意ネタは200席に及ぶ。シリーズ「小さんひとり千一夜」では毎回名作古典落語に取り組みます。「渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール」で風雅な六代目をお楽しみください。

というのはチラシにあるコピーだが、六代目の魅力は「風雅」ではないように思うのだなあ。
でまあ、考えも文章もどうもまとまらないから、参照項としてさらに三代目と四代目の音源を引っぱり出して聞き直してみたものの、やっぱりうまいなあということなのであって、べつにその、これといってね、考えがまとまるわけでもないのだった。

 小さんは天才である。あんな芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今から少しまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。──円遊もうまい。しかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。
夏目漱石「三四郎」(三)

と漱石が(作中で与次郎が口にする小さん評としてだが)書いた三代目小さんの録音は、『昭和戦前面白落語全集東京篇に一席だけ収録されている(「うどんや」)。SPレコードから復刻されたたった8分の音源で、「往時の芸を知る」にはさすがに制約の大きすぎる資料だけれど、そうはいっても(少なくとも手元には)これしかないんだからしょうがない。というか、うまいよ、三代目、やっぱり。
併せて聞き直した四代目小さんの音源も同全集のもの。付属の解説書にある演目紹介(文・保田武宏)には、

四代目小さんは、評価の分かれる人だった。名人だと言う人もいれば、下手だとの声もあった。そのせいか、三代目小さんよりもぐっとレコードの数が少ない。二十枚足らずである。その中から六席を収録した。

とあり、なるほどたしかにうまい一方、いや、面白い/面白くないを判断するにはSPレコードからじゃあどうにも無理があるのだけど、これを「うまいが面白みがない」「つまらない」と受けとめる層があってもおかしくないかもな、とそのじっさいの高座を想像させる語り口ではある。でもなあ、うまいんだよ。それはこの音源でもどきりとするくらいよくわかる。
 「よしみつこ」(古今亭志ん五と立川左談次のお内儀さん同士によるUST番組)第24回放送(2011年8月9日分)では雑誌『落語界』の昭和50年8月号を取り上げ、その特集記事である先代馬生のインタビューから一部をこう紹介している(途中、話題は四代目小さんからちょっとそれて八代目文治の話になるけれど、そこも興味深いのでいっしょに)

 こんなかにちょっとマニアックな話があってね、「師匠が聞いた先輩たちのなかで名人上手というのはどんなひとたちがいますか」って、インタビューされてんですよ。そしたらね、「これはこないだも会長[=当時落語協会々長の先代小さん]と飲んで話したんだけど、そのときに小さんさんが、いままでで誰がいちばんうまかったと思うって聞いたから、わたしはなんといっても先代文治師匠、それから四代目の小さん師匠だって言った」って。「そしたら会長も、そうだろ? な、な、おれもそう思うって」言ったってんですよ。
 つまりこの、文治師匠っていうのが、お客様には全然ウケなかったんだけど、なにしろ芸がクサかったと。で、クサい芸ってのは腕がないとできないから、[先代馬生は先代文治のもとに]すっごい稽古に通ったんだって。それで志ん生師匠にね、先代の八代目の文治師匠にお稽古に行ってるって言ったら、志ん生師匠が「よせよせ、あんなクサいところは」って言ったって、書いてあるんですけどね。どうも志ん生師匠は、馬生師匠が好きな八代目文治ってひとをどうも好きじゃなかったみたいで。
 四代目の小さん師匠ってのは、すっごいなんか名人だったらしくて。まあ、年寄りはみんな[四代目小さんのことを]すごいって言ってるんで、まあ先代の小さん師匠はその弟子ですからね。
よしみつこ第24回、13:30あたりから

 また、こちらは柳家小里ん・石井徹也(聞き手)『五代目小さん芸語録』(中央公論社)から。その巻末に添えられた柳家小三治によるエッセイのなかに、四代目小さんはこのように登場する。

 レコードでしか聞いたことはありませんが四代目(先代)小さんの噺。多くの世評によるとホントに面白くなかったそうです。起伏もなく、同じテンポでトントントントン。枕も説明もト書きも、会話になっても人物が変わっても声柄もテンポも変わらず。どこが面白いんだ、ただ退屈なだけじゃねぇかと、トリに上がった四代目小さんが始めて五分十分経たないうちにお客はどんどん帰ってしまうのだそうです。それでも辛抱強い半分位の客は残って聞いている。けど、もう我慢の限界だと、また客はばらばら帰ってゆく。そして、三分の一だか五分の一に残った客の前で見せた噺の世界。それはこの世のものとは思えない面白さであった、素晴らしさであったそうです。どうです、おもしろいでしょ。いいでしょ。私がどれ程我慢強い奴かわかりませんが、どうか残った五分の一の客になりたいものと憧れてきました。最晩年の我が師五代目小さんの噺に私がぞくぞくするというのがおわかりでしょうか。
柳家小三治「我が師五代目小さんの落語」(柳家小里ん・石井徹也『五代目小さん芸語録』p.280)

 いや、このエッセイ、かなりぐっとくる(もちろん本編の『五代目小さん芸語録』もいい)ので、これ以上はぜひ買うか、相馬から借りて読んでいただきたい。
六代目の二席目は「愛宕山」。終演後にご本人に伺ったところによると柳家小満んから(つまり桂文楽の型で)教わり、そののち古今亭志ん朝からもアドバイスをもらう機会があったらしい。うーん。もろもろ(物語をつなぐタテ糸の「朝飯前」とか、コチャエ節で山道を登るところとか、竹をたわませるところとか)、半端な印象はぬぐえないかなあ。
チケット代のかわりにと、受付で売られていた六代目のCDを買う。一席二噺で「時そば」と「うどん屋」を合体させた『二割五分』。その「うどん屋」のパートで、ご機嫌の酔っ払いが呵々大笑する声がまったくもって五代目のそれだったからどきりとした。まあ、特筆すべきはそれぐらいなんだけど、でもなあ、この笑い方ができるんだったら、可能性はあると思うんだよなあ。
本日(26日)の電力自給率:8.8%(発電量:2.2kWh/消費量:24.8kWh)

本日の参照画像
(2012年5月26日 20:56)

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