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May.
2017
Yellow

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/ 12 May. 2017 (Fri.) 「We’re a multitasking generation / 待てよ? 冷蔵庫ってメディアか?」

ロビン。2011年4月。

PC向け新デザインで使っているフィギュアの画像は拾いもの。1970年代の人形で、Etsyのこちらで売られていた。ま、ほんとはあのカツラは「赤毛」だけどね。

Elise By Olsen

4:51
こんな時間だよ。

明け方まで何をしていたかというと、「ハーポがしゃべった!」のレスポンシブ対応(スマホ対応)である。対応させた。ずいぶん前からそのような状況になっているのは把握していたが、「ハーポ・マルクス」で Google検索したときに、「マルクス兄弟」の日本語版ウィキペディア、英語版ウィキペディアに次ぐ3番目に、うちのこの「ハーポがしゃべった!」が出てくることにたいして、あらためて申し訳ない気持ちになったのである。PCブラウザで見たときのデザインもちょっと変えた。
いや、そういうこっちゃなくて、まず第一に翻訳作業を進めろよって話であることも承知しているのであって、それも、ちょびちょびやろうかなという気にはなっているのだった。そういうこと、これまでに何度も言ってるような気もするものの。
こないだの、「じゃじゃーん」がやりたくてわざわざお呼び立てしてしまった児玉(悟之)君のツイートだけれども、そのつづきのような日記が書かれていて、わりと興味深く読む。

少し前、こんな記事を目にした。「10代の中高生はあまりTwitterやりたくない?その理由が「ヒエラルキーが可視化されるから」」。
おれは、Twitterを使い始めて10年目に差し掛かるが、この記事からわかるのは、もうTwitterのタイムラインは多様な位相の言葉をまとめる濁流ではなく、現実世界と同様に、区画整理された中での立ち位置とふるまいが有効なメディアになってしまったということだ。
本来、こうした役割はmixiやfacebookのものだったはずである。ウェブからの閉鎖が目的のSNS、それらへのカウンターカルチャーだったからこそ魅力的だったのだが、茨の道だったのだろう、マネタイズの難しさがなによりの原因だったとは思うが、静かに野心が消えていくのを見るようだ。そしてだからこそ、Mastodonが代わりとなってしまうという因果。

〔かなり略〕

——ところでコミュニケーションはどこに行った?
どこにも行かないのだ。ずっとそこにある。それで、不意打ちのコミュニケーションにまんまと感激し、初めてのようにときめいてしまうのだとすれば純朴すぎるだろう。ときめきの効用はいつも一瞬ですぐに醒める。それで醒める夢なのかあるいは呪いか。なにを言っているのかわからなくなってきた……。いつだってそうだ。
Wed May 10 2017 – KODAMA Satoshi

 ほんとは、〔かなり略〕した部分をこそ面白く読んだのだけれども、その部分はまあ、自身の言う「正体」なるものから身をかわし続け、掴まらずに駆け抜けることを身上としているような文章なので注釈を加えるというのがなかなかむずかしい。
 だもので、比較的ものを言いやすい(気がしてしまう)冒頭の「 10代」云々についてバトンを受け取ってみたいが、これ、よくよく考えてみると──というのは、児玉君の考察をというよりも紹介されているトゥギャッターの記事、とりわけそのタイトルに集約されるところの物言いについてだけれども──、「ヒエラルキーが可視化されるから」「やりたくない」というその 10代がいるツイッター空間において、その可視化に苦しさを覚えず、享受して空間形成をしている層もまた 10代なわけで、だから、「 10代の中高生は〜やりたくない?」という、年齢による一般化にはちょっと無理があるというか、語る(トゥギャる)側の欺瞞があるように思われる。

これはもちろん国内に限った話なのだが、Twitterと日本、あるいは、Twitterと(マルチバイト文字としての)日本語などについて考えることはなかなか面白く、その在り方と変容が体現する鏡の平面度は高い。
同上

 そう、これはやはり〈鏡像〉なのであって、10代の彼らを〈子ども〉として描き、ツイッターのよりスマートな利用法を語ってみせることで〈大人〉であろうとする者の姿──自身のうちにあるものを他者化=非タイムライン化することで切り離して、見ないようにしているその姿──こそが、ここで語られる「 10代にとってのツイッター」には投影されているように思われるのだ。
と、年甲斐もなくついつい 10代の側に肩入れしてしまうのは、わたしがいま、内藤祐希と Elise By Olsenというふたりの 10代のファンであるからだ。

性別、年齢、国籍、そういったものと無関係な新しい世界に私たちは生きてるの。それがそのままであってほしい。
インディペンデントマガジンとその女性編集長たち『Recens Paper』 エリス・バイ・オルセン(16) | GINZA | LIFESTYLE

“You need to work ageless and across generations.”

“Having internet friends, I felt like I had this crew behind me—even though it wasn’t physical, it was still there.”

“We’re a multitasking generation, and that’s perhaps also the reason that I can run a magazine.”
New Age: Recens Paper founder Elise By Olsen on defying generational genres — Freunde von Freunden

そういえば Elise By Olsenは、ツイッターはやってないっぽいな。
10代の彼らとわれわれとのあいだに、ツイッターへの関わり方をめぐる世代的な差異があるとしたら、それはやはり、彼らにとってはツイッターが、はじめからそこにあったメディアだということだろうか。はじめからそこにあったメディア。それは、われわれでいうと何なのだろうと考える。
 たとえば冷蔵庫だ。あれはわれわれにとって、はじめからあった。よく冷やしてくれた。これまで、心から冷えてほしいと思ったものなどないが、それも、われわれにとって冷蔵庫が所与のものだったからかもしれない。言うなれば、10代にとってのツイッターは、われわれにとっての冷蔵庫である。
(ツイッターもまた冷蔵庫と同じように、)大きいのもあれば、小さいのもあるのだ。

Walking: 4.1km • 6,480 steps • 1hr 8mins 10secs • 195 calories
Cycling: 2.6km • 15mins 54secs • 58 calories
Transport: 69.8km • 1hr 32mins 29secs
本日の参照画像
(2017年5月18日 18:40)

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