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May.
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/ 7 May. 2017 (Sun.) 「リツイートとブースト / じゃじゃーん」

ロビンとポシュテ。2011年1月。

18:19
日記を更新。5日付「夢だけど、夢じゃなかった」

児玉(悟之)君のツイート。じゃじゃーん。

@kodamasatoshi: twitterって、タイムラインという仕組みの性質上、何が語られているかよりもどういう位相から語られているかが前景化してしまうから、特にリツイートなんかは内容よりも位相をずらしたその意図に意識が向いてしまう場合が多い。それはもう、機能不全と捉える他ないのかもしれない…。
2017年5月5日 11:46

 いや、「じゃじゃーん」は、あんまりふさわしくなかった。
リツイートというと、これは 2009年、まだ公式に提供されるリツイート機能がなかった当時の、「 RT vs. via」という記法をめぐる覇権争いについてのこちらの記事(「思想のないRTより、粗相のないvia」)に書いた、この思いがやはり頭をよぎる。

〔略〕「RT」の抱える最大の(そしてじつは唯一の?)問題は、それが、すでにそれに慣れた者以外には「意味のとおらない記号」だということである。けれど、それはむしろこのように考えることが可能ではないだろうか。「RT」という記号を理解しないまま(それを飛ばして)自身のつぶやきを読む者がいること、そのことの覚悟をもってこその「再つぶやき」なのであり、「つぶやかせる」のではなく「つぶやく」以上、あくまでそれをつぶやく「声」はわたしのものなのだ、と。
web-conte.com | blue | 思想のないRTより、粗相のないvia、太字強調は原文

 公式のリツイート機能はこののちほどなく、2010年のアタマごろに実装されるのだが、その実装にたいしてしばらくのあいだ反発心があったのは、公式リツイートがその表示上、もとの発言者に再度「つぶやかせる」という装いを用いているからだった。むろんそんな反発もとうにほどけて、いまでは何気なく公式リツイートを用いているけれども、それでもリツイートするにあたっては、いまでも「それを自分の声に乗せて発せられるか?」ということを基本的には意識している。
だから、わたしがついぞ手を出さないでいるのは(と断言できるほど記憶がたしかでもないのだが、基本やらないようにしているのは)、批判を加えるために、賛同しないツイートをまずタイムラインに呼び寄せるというあのリツイート手法だ。まあ、手法としては理解するのだけれど──それこそそこにあるのは、自身がつぶやくのではなく「相手につぶやかせる」ものとしてのリツイート理解だろうけれど──、自身の声をともなう「つぶやき」なる比喩を後生大事に抱えてしまっている身のわたしとしては、ちょっと採用したくないやり方なのである。
ところで、2015年4月からできるようになった公式の引用リツイートは、こちらはちょっとかつての「 via」を思わせる。
でまあ、冒頭に引いた児玉君のツイートだが──それに応答するようなふりをして、そのじつ、児玉君の発言趣旨とはあんまり噛み合ってない話をしているなという自覚はあるのだが──、これ、直後につづくのは「マストドン」の話なのだった。じゃじゃーん。

@kodamasatoshi: Mastodonはそのあたりの問題を解決する可能性があるのかもしれないが、それってなんというか、iPhone6iPhone5S、ニンテンドー3DSニンテンドー2DS、みたいなことっぽいよな…。うーん…。
2017年5月5日 11:52

 やっぱちがうな。「じゃじゃーん」いらないな。
「そのあたりの問題を解決する可能性」云々はおそらく、マストドンの「インスタンス」概念について言っているのだと思え、たしかにそこに──たとえばいまさっき、「マストドン」の語にたいしてリンクを張ろうとして、さてどこに張ればいいんだ? とちょっと戸惑ったりすることに──まず、マストドンの楽しさはあるだろう。で、そのことに加え、さっきまで書いていたこととのつながりで言うと、マストドンが「ツイート」を「トゥート」に、「リツイート」を「ブースト」にそれぞれ言い換えているところにも、センスのよさ、みたいなものを感じるのだった。とりわけ(「リトゥート」ではない)「ブースト」は、いよいよ音=声の比喩から離れて、もはやそれがどちらの声であるのかをたいした問題とはしない勢いを示すのと同時に、それがはっきりと〈増強、加速、後援、励まし〉であることが示されていて興味深い。
あ、それで、「吠える」という訳で説明されることが多い「トゥート( toot)」だけど、「吠える」はいわば意訳であり、辞書にあたると「ラッパや警笛などをプーッと吹く、鳴らす」といった語義が出てくる。でまあ、パオーンと鳴く象のイメージがそこに重ねられているだろう(「ラッパを吹く」の意の「 trumpet」には、「象が吠える」の意もある)ことから端的に「吠える」と訳しているのだろうが、とはいえ、ここはひとつ「吹く」や「鳴らす」といった語のイメージも、できれば残しておきたいような気がする。
あっちでちょっと吹いてくる、みたいなね。
では最後に、最近のリツイートからわたしの〈声〉を、あらためて。

@yu_ichikawa: 人は色んな仕方で消されていく。ハナから想定されない場合もあれば、いるのに「皆無」とか言われたり。いるっつうの。
2017年5月9日 12:55

 この「いるっつうの」などはぜひ、わたしの声で(も)再生していただきたいところだ。

@TokyoRitualJp: 誰になんといわれようと、ここぞと思ったその時には、あなたの魔法を断固、行使しなさい。その時がいつやってくるかは誰にもわかりませんから、いつでもあなたの魔法に磨きをかけておきなさい。強く優しく美しく、そうでなくとも微笑みを。さぁ、晩御飯の支度をしましょう。
2017年5月8日 18:20

 これはねえ、リツイートにあたってちょっとだけ悩んだのは、わたしがふだん「晩御飯の支度」をほぼしない人間であるという点だが、まあ、比喩的な物言い──〈日々の行い〉としての晩御飯の支度──なのだという言い訳と、「したらどうだ、おれ、晩御飯の支度」という自戒も込めての、わたしの声バージョンである。

Walking: 440 meters • 642 steps • 7mins 29secs • 21 calories
本日の参照画像
(2017年5月11日 16:04)

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