/ 7 Apr. 2018 (Sat.) 「コントめく春に笑いの数を数えつつ」
■春は急にコントめき、夜、下北沢の本屋 B&Bに「いとうせいこう連続企画『今夜、笑いの数を数えましょう』第5回」を聞きに行く。いとうさんと宮沢(章夫)さんの対談イベント。おふたりの対談を公の場で聞くのは三度目で、過去のそれは 2009年11月の池袋コミュニティ・カレッジでのトークイベント(宮沢さんの『時間のかかる読書』の刊行記念)と、2011年10月『トータル・リビング 1986-2011』でのアフタートーク。ちなみにいとうさんは昨夜の「明日のアー」の客席にもいて、二夜連続で会うかたちとなった。
■対談内容についてはいずれ雑誌掲載(『群像』)のかたちできちんとまとまる予定のものなのでわたしがどうこうレポートするまでもないのだが、とはいえ印象の深かった話題にちょっとだけ触れておくなら、ひとつはいとうさんが説明した、「ぼくが見たコント55号のコントのなかで、いちばんすごかった欽ちゃんのツッコミ」。
■いとうさんの記憶では坂上二郎さんがクルマの保険を売るセールスマンで、欽ちゃん相手に売り込むのだが、その過程で欽ちゃんに請われて、クルマのかたちを指で描かされる。「ですからクルマはこういう……」と空中に輪郭を描いてみせる二郎さんの指は、そういう所作でよくあるように、描き終わりのところが「ふわっとなる」。で、欽ちゃんはそこを見咎めるのだ。その「ふわっとした部分」を指摘して「ここは何?」とツッコむ欽ちゃんの、その〈角度〉にいとうさんはそのとき驚嘆を覚えた(で、容易に想像できるように、そのコントでは以降そのやりとりだけが延々繰り返されるのだった)。
■東八郎さんの話になったとき、「全盛期は(見えていないはずの)真後ろにツッコんだっていうからね」と、いとうさんがプレーヤーとしての憧れを言っていたのも印象に残っている。
■権威にはなりたくないというのが心情だけれど、齢が齢だけに知らず知らず権威性を帯びてしまっている局面があってもおかしくはない。たとえば俳優たちは宮沢さんの台本を読むときに、ありがたいものを授かるように〈戴いて〉しまってはいないか、というようないとうさんの指摘。「ぼくらはさ、台本を上から見てるじゃん。ああ、宮沢さん今回はこう書いてきたかあ、だったらここはこう演ってやろうか、みたいな」。プレーヤーの側にそうした「メタレベル」があるかないかは、笑いが起きるか起きないかにおいて大きいという話。
■「今日は宮沢さん、笑いについて 3つ、これを話そうっていう重要なことを事前に考えてきて、で、直前にそれ全部忘れちゃって、いま話してるでしょ?」「うん」「だからこっちはいま、ずっとつないでるんだから、宮沢さんが思い出すまでのあいだを」「思い出せないもんだね」。といったようなやりとりののち、あらためて当時、いちばん何を考えて笑いを作っていたかという問いに宮沢さんは「ほかのやつらの笑いには絶対負けない、っていうね」「精神論じゃん(笑)」。主線(主旋)と関係ない動きがあること、本質とはちがうところで何かが起こってることを面白いと思う、と宮沢さん。あるいは、ラジカル・ガジベリビンバ・システムの作家・演出家といういわば「権威」が、本来語るべきこと(笑いについての、重要な 3つのこと)はべつにあるという前提のもと、けっしてそこへ至ることなくどうでもいい話をしゃべり続けることもまた、同様の構造のもとにあるのかもしれない。
■あと、シティボーイズミックスのときのエピソードの、「ヤーレン」はやっぱり面白い。この「ヤーレン」については前に宮沢さんから聞かされて大笑いしたのだけれど、今回はそこに、プレーヤーの側から悔しがるいとうさんの視点が加わることでより立体的に聞こえた(ぼくも、「ヤーレン」は絶対に面白いと思うひとりだ)。
■終わって声をかけられるまで気づかなかったが、宮崎(晋太朗)君が聞きにきていて、それでしばし立ち話。しているところを今度は宮沢さんに声をかけられ、ふたりで打ち上げにまで同席させてもらった。打ち上げではライターのモリタタダシさんと、放送作家の大野ケイスケさんがラジカルフリークぶりを遺憾なく発揮されていた。
■終電の都合でひとり早く帰った宮崎君だが、話を聞いているととても精力的な様子で頭が下がる。「あっ、だったら」とひとつ誘ってみた落語会(けっきょく落語かよ、おれ)は残念ながら都合があわなかったが、まあ、いずれまた、ゆっくり話しましょう。
Cycling: 1.3km • 7mins 5secs • 28 calories
Transport: 42.4km • 53mins 56secs
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