/ 3 Dec. 2008 (Wed.) 「続・第5回高菜句会報告」
■ではひきつづいて先日の「句会」から。投句一覧および相馬作の句についてはきのうの日記でどうぞ。ところでいまさらだが、われわれは結社名を「
はや三回目の参加(うち実参加が二回、句のみ提出が一回)となる南波さんの作風は、なんというか芯が太い。見たまま感じたままをつるつると手元に引き寄せたような素直な言葉の運びでありながらも、しかし一方でこの句はこうでしかありえなかったのだ、わたしの関節はこうしか曲がらないのだというような〈強ばり〉も感じさせ、それが魅力になっている。
「ろうそくは持ちたくないと泣き叫ぶ主は、主は来ませり」
子供会感覚で近所の子供らが集う教会があり、クリスマスには讃美歌(「諸人こぞりて」)を合唱する行事があるのだが、唱うさいにひとり一本小さなロウソクをもたされるのが怖くてたまらず、ひどく泣きわめいて退場させられたという幼時のごくちいさな記憶が、人類規模でのクライマックス(=主は来ませり)と併置させられているという妙。泣き叫ぶ子の危急と人類の歓喜とはともに大音声をあげつつ、ついに交わることがないが、しかし両者はいま句のなかでひとつの情景に収まってもいる。よくよく声に出してみればわかるとおり、じつは「ろうそくは持ちたくないと泣き叫ぶ」で五七五は完結しており、「主は、主は来ませり」は語調としてのつながりはともかく、形式的にはまったくの〈余り〉であるのだが、それが完全に〈異分子〉としてあるがためにかえって、泣けども叫べどもいかんともしがたく教会に鳴りわたる歓喜の調べの、その大音声が耳について残る。
前々回に参加してもらった竹村さんは今回が二度目。竹村さんといえばやはり「青春俳句」だ。というのもなにせ、前々回に投じてもらった三句がつぎのようなものだからだ。
「ローファーの先ばかり見た檸檬のころ」
「父のもとへ走る君と冬の朝」
「幸せかと問う弟花火のあと」
ちっくしょう、青春じゃないか。だから、今回もまた次の一句を見て、てっきり「アツアツ」な情景かと思ったのも不思議ではない。
「意味を問う意味のないふたり喫茶店」
なぜここにふたりでいるのかというその理由を言葉で確認する必要もない者同士がただ喫茶店で向かい合うという濃密な時間──この喫茶店がよく行く近所のそれだとすれば、ここにはやはりそうした「アツアツ」を読むことも可能だが、しかしこれは「旅」という題のもとに提出された句で、この喫茶店も旅先で入ったそれということになるから、すると句の様相はにわかに変わってくる。「旅先で喫茶店に入るときって、たいてい疲れたときだよね」と吉沼が言う、その〈疲れ〉がふたりの関係にも影を落とす。「問う意味のない」はそこでは「問う甲斐もない」というニュアンスで響き、うっかりしようものなら、まったく直接的な意味で「意味のないふたり」がそこに出現しかねないあやうさだ。「うわー、せつないなあー」と南波さんは何度もつぶやき、首を振るのだった。
「祖母の知る私はいまだ帰らぬと」
「歴史」の題で出されたこの句では、個人的な歴史=記憶が詠まれている。一読では意味が取りづらく、竹村さんの自作解説を聞いて「ああそういうことか」となったところによると、近頃痴呆の症状が出てきた祖母の〈いま〉において竹村さんはまだ学生のまま家に暮らしているらしく、「あの子はまだ学校から帰らない」と言っていたのを家族づてに聞いたのだという。
竹村さんが「青春俳句」なら細江さんは「ぼやき俳句」である、というふうに開始前にはなんとなく規定していたのだが、合評が進み、本人の自作解説など聞くうちに、これは「ぼやき」ではなく「相談」なのだということがわかって笑った、笑った。細江さん、今回の三句で「相談俳句」というジャンルを見事確立。たとえば、
「歳重ね 速さ重なる 師走時」
は、まあ、一読して凡庸な印象すらある心情吐露なわけだが、これについていわばテーマとか作者の意図とかいうものを(作者本人に)もとめるとして、それは「年をとることの感慨」といったものではなく、「で、わたしはどうしたらいいんでしょうか?」ということなのだった。(ちなみにその相談によれば、ここに詠まれている「時間経過の速さ」には個別な事由があり、一般によくある「年をとると時の経つのが早い」という感慨もあるがそれに加えて、「準備もなく一瞬で眠りに落ち、気づくと時間が経っている」という昔からの傾向が最近病的なほど顕著になっており、といって生活は不規則・不健康だからたんに「夜を無駄にしている」感覚になるのだという。で、「どうしたら夜起きてられますかね?」というわけだ。)
「出不精で 一駅向こうは 旅気分」
相談俳句には「季語」ならぬ「相談ワード」がある。俳句がその季語によっていくつかの季に分類されるように、相談俳句では相談ワードがその悩みを分類する。悩みの中分類にはおそらく、「肩こり」「対人」「お金」「長年悩んでいること」といった恣意的な上位カテゴリが存在するだろうし、さらに大分類には、「大きな悩み」と「小さな悩み」というふたつがあるにちがいない。上の一句の場合、むろん相談ワードは「出不精」だ。この句もまた、相談ワードを中心に据えず一読すれば、むしろ前面に出るのは「一駅向こうは旅気分」というポジティブな姿勢・ものの見方のほうであり、「出不精」はそのことに対するちょっとした照れ・エクスキューズにすぎないとも読める。それが「出不精」を中心に据えたとたん、これは相談俳句となるのだし、「どうなの、あんまり外出しないの?」とこちらも思わず声を掛けることになるから不思議だ。細江さんは言うのだった。「まず布団から出ないんすよ。どうしたものですかね」。
「今日の飯 決めることすら めんどくせえ」
一見、悩みとは遠いような、〈ロック〉さえ感じる句であるけれど、しかし聞いてみればなかなか悩みの度合いは深い。「なんにつけ、ベストチョイスをしなければという強迫観念がある」のだという。知ったことかと言いたい。(むろん合評=相談の場では、ネオリベラリズム的なるものが強要する自己決定・自己責任の幻想からいかに自由になるかといったアドバイスが出たわけだが、それはそれで長くなるため割愛。)
初参加の赤羽さん(誕生日おめでとう、12月1日だそうで)はさきごろ映画『金糸雀は唄を忘れた』を撮り終えたばかりだ。
「いつの間に旅は道連れ百十人」
は、つまり映画作りのことを詠んでいる。あくまで個人的な欲求に出発する、小規模な制作行為と思い進めてきたそれが、しかし気づくとかなりな数の人を巻き込んでいて当人を驚かせる。「百十人」はおおよそながら、エンドロールに名を連ねた人の数だという。なのだが、これ、そうした詠み手の背景を捨象して味わった場合に立ち現れるのは、なんとも〈花のお江戸の無責任〉的な、あるいは〈五万節〉的なでたらめさであってそれもまたよい。いやー、まいっちゃったよと破顔する大親分の笑い声が、底抜けに青い旅の空を思わせて愉しい。
最後、わたしと共同主宰の吉沼からは、まあ「新築の押入にある三度笠」もばかばかしくて捨てがたいものの、次の句を挙げておこう。
「柵の向こう 残像の街も日曜日」
これも個人/地域の歴史=記憶を詠んでいて多少説明が要るのだが、この「街」はいま吉沼の住む街、羽田である。現在羽田空港がある場所にはかつて街が存在し、そこはかなり賑わった街だったという(飛行場は昭和初期から存在したが、戦後すぐそこを接収したGHQにより拡張工事が行われ、現在に至っている)。土地の夏祭りに参加し、その詰め所などにいて年寄りの話を聞いていると、かつて「柵の向こう」に家のあった者同士がその思い出話に花を咲かせるのに出会い、いまさらながら〈そこ〉と〈ここ〉が地続きであることに感慨を覚えたという。
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